読書記録 5
24人のビリー・ミリガン
ミリガンは一つの体に多数の人格が存在していることを除けば(ここが一番重要な所なのだが)普通の人と変わりがない。何が言いたいかというと一つ一つの人格は異常でも狂っているわけでもないということだ。しかし役割が分けられたことによって少しばかりの極端さは見受けられる。
人格がある以上罪は問えるのでは?と思ったのだが、問題なのは一つの人格が犯した罪に他の人格もまた罪を贖わなければならなくなることである。
ミリガンの多重人格にも興味をそそられたが、何より興味深かったことはミリガンに対する社会の反応である。ミリガンというセンセーショナルな人間が社会に対しどのような影響を与え、どのような反発を受けたのか、この時代の精神病患者に対するスタンスが見て取れる。
読書?記録 3
偶々暇な時間が出来たので久しぶりに一気読みした。中学時代にも一度読んだのですが少し歳をとってから読み返してみると新たな見方や発見などがあって随分と面白かった。以前読んだ時は何とも煮え切らない物語だな、と途中で読むのをやめてしまったような気がするが今回は先を急ぐように一気に読んでしまった。その感想の違いに自分も色々と変わっているのだな、と少しばかり感慨深い。
まあ思ったことなど適当に書いていこうかな、と思う。
藤田先生の作品全てに言えることだと思うが(「双眸亭壊すべし」はまだわからないが)作中に出てくる登場人物の笑顔が素敵すぎて困る。悲しみや覚悟や切なさ、純粋な喜びや楽しさ嬉しさ、場面ごとにそれぞれその笑顔の意味は違うけれど、どの笑顔も重い思いが含まれていて、はっとさせられる。正直漫画を読んでいて何回か泣きそうになったくらいだ。何というか「とても綺麗だな」と思う。凄く変な言い方だとは思うのだけれどその感情の動きや想いがとても脆いけれどそれ故に力強く思えて感動してしまう。いつか自分もこんな笑顔を浮かべられるような人間になりたいものだが残念ながら未だに表情筋の痙攣に過ぎないような気もするのが悲しい所である。
また何年後かにこの漫画を読んだ時に今とは違った想いをもてたら嬉しい。
読書記録 2
「消された一家 北九州・連続監禁殺人事件」
豊田正義
この事件の犯人の一人である松永太はある意味で一種のおぞましい天才である。彼の洗脳技術はパターン化されシステマチックでありながら個人によって臨機応変に対応する。
精神的・肉体的暴力により自尊心の崩壊・恐怖による服従を発生させ、人間関係を自らの手によって断たせることで客観的意見の介在する余地をなくすとともに、自らに対する依存を強める。また肉体的暴力、通電は極端に判断能力を鈍らせる効果もある。
人を奴隷化させるには無力化と断絶化が重要であると本文に書いてあるが松永は見事にそれをやりとげた。始めは抵抗していても不可能だと学習すると無抵抗になり、ついには考えることすら放棄するようになる。
さらに駄目おしとして犯罪に関与させることで自らが培ってきた常識やモラルというべき人格の土台となり得るものを自らの手によって壊させる。これは人格崩壊にも等しい現象でありそうなってしまった人間はもはや判断能力を奪われ、唯言われるがままに従うことしか出来なくなってしまう。さらに生活に様々な制限を加えることで人間性すらも否定し、徹底的に被害者をおとしめている。
このような恐ろしいことを平気で考え実行する松永太という人間がどのような人間なのかと言えば正直全くわからなかった。プライドが高く、自己欺瞞に優れている、みたいなありきたりなことしか出てこない。何故彼がそのような人間になったのか掘り下げて欲しいとは思うが虚飾に塗れ過ぎていて今の自己がどう形成されたかなどもはや彼自身にもわからなくなっているのかもしれない。